講演録

東北文化の日フォーラム 基調講演「知を活かし、地をつなぐ」

そこに暮らす人たちこそが文化の担い手であり主人公である

文化が経済から切り離されるのではなく、文化こそが経済の活性化のために大きな役割を果たすことができるという時代が始まっています。文化は生活や生業に深く根をおろして、そこから養分をすい上げながら育てられてきたものだと思います。芸術や絵画や音楽、演劇やダンスだけが文化ではありません。

関西から来たお客さんが車窓から見える東北の風景を見て感嘆し、「東北には本当に雄大な豊かな自然が残っていますね」と褒めてくださる。そのとき僕は「いや、それは違いますよ。自然が残っているとあなたがご覧になった風景は、縄文以来の1万年の時間の中で、東北に暮らす人々がかかわり、つくってきた文化としての自然なのです」と語りかけてきました。東北の雄大な自然は“残っている”のではなくて、東北の人々が自らの暮らしや生業とかかわる文化として“つくり、守り、育ててきた、残してきた”のだというふうに考えるべきではないかと。

白神山地に象徴されるように、東北の美しいブナの森は今では大変価値のあるものとされています。でも、ブナという漢字そのものが、無用の木である、役に立たない木だという、そういう意味合いを含んでいるんです。今、ブナの森が東北の豊かな地域文化の結晶のようになりつつありますが、白神山地のような原生的な自然は、東北の自然の1割程度だといわれています。逆にいえば、9割は人間が深くかかわりながら守り育ててきた、文化としての自然なのだと考えた方がいいのだろうと思います。「里山」が生物多様性を守る、保全する現場として注目されていますが、人間たちが少しだけかかわり傷つけた自然が、多様性の豊かな自然として存在できるという、不思議なことがあるのだと思います。

「東北文化の日」フォーラム基調講演2

我々の周りに見出される自然や風土や歴史、それらは皆、かけがえのない文化遺産であり地域資源であります。それを糧として、あすの地域社会を豊かにデザインしていくことが求められているのだろうと思います。文化の担い手は、出稼ぎ知識人として時々やってきて高尚な文化を語り説く人たちではなく、地域社会とそこに生きる人々です。そこに暮らす人たちこそが文化の担い手であり主人公であるという当たり前のことを、何度でも確認するべきだろうと思います。

観光のイメージも随分変わりました。表層を上滑りするような観光というものは間違いなく飽きられつつあり、もっと深い文化や歴史の底にたゆたうものに触れてみたいという欲望が芽生えつつあります。地域に暮らす人たちが自らの地域の文化に誇りを持ち、その文化を糧としてよそから来る人たちを迎える。そういうスタイルが当たり前になっています。

土地の記憶を掘り起こす

宮沢賢治は今では聖人君子のように持ち上げられていますが、明らかにその人生は挫折と失敗の連続でした。結核で早く死んでゆき、生きている間に彼の作品が高く評価されたわけでもありません。ですから、賢治の死後数十年を経て起こった賢治の再評価の動きというのは、賢治自身は知る由もなかった。

賢治はイーハトーブという理想郷のようなイメージを現実の厳しい岩手にかぶせて、文学的に造形してみせたと思います。目の前には、冷害と飢えにあえぎ苦しむ、貧しくて暗い岩手がある。でも、それをイーハトーブという理想郷として劇的にひっくり返すために、その文学的な営みがあったのかもしれない。

賢治の作品を読んでいると、たくさんの老人たちに聞き書きをしています。昔からの暮らしとか生業、さらに伝承といったものに賢治は耳を傾けている。『なめとこ山の熊』という作品がありますが、「なめとこ山」という地名を残したことは我々の時代への贈り物となりました。研究者たちが「なめとこ山」というのが賢治の命名ではなくて、明治の地図に名前が残っている地名だということを発見し、今ではその山に登る人たちもいます。土地が名前を持つこと、それは、その土地の持っている記憶がその地名に結晶しているという意味でとても大切なことです。記憶を掘り起こし、土地に名づけを施す。そして、それにまつわる物語をつくること。賢治は土地につながる物語を数知れずつくりました。その物語があるために、今岩手を旅する人たちは、何げない風景がとても豊かに立ち上がってくる瞬間に出会うことができる。

『狼森と笊森、盗森』という作品の舞台になったといわれる開拓の村を僕は何度も訪ねました。山の神の神社の境内から見る岩手山の風景が僕はとても好きなんです。賢治の作品がもし存在しなかったら、我々はその開拓の村に行っただろうか。そうしてそこから、風景を眺め、物語に思いをはせ、その土地の記憶を掘り起こすといったことをしただろうか。イーハトーブに惹かれてたくさんの観光客や旅人が岩手を訪れています。莫大な経済効果だろうと思いますし、そこから恩恵を得て暮らしている人たちもたくさんいるだろうと思います。目の前に横たわっている岩手の風土を詩的な場所に仕立て直す。そういう賢治の壮大な試みは成功したのかもしれません。

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