講演録

東北文化の日フォーラム 基調講演「知を活かし、地をつなぐ」

新たなもうひとつの物語をつくる

今年『遠野物語』が生まれてから100年を迎えました。遠野市ではいろいろなイベントや試みを始めています。「民話の里遠野」ということで、民話と観光をつなぐという大きな戦略で地域おこしを進めてきました。博物館、とおの昔話村、伝承園、遠野ふるさと村といったものを次々につくって、遠野物語や民話というものを起点とした地域づくりを行ってきたんです。遠野には随分通っていますので、少しだけ知っているのですが、ついこの間まで遠野の人たちは遠野物語が嫌いでした。遠野物語を読んでいると、次から次に出てくる人たちが死んだり、殺し合いをしたりしている。こんな暗い物語で遠野が語られるのはたまらないということで、遠野を出た人たちが遠野物語を知らない、拒んだ、そんな話を繰り返し聞きました。

初めて遠野を訪ねた20数年前、たまたま乗ったタクシーの運転手さんも当然のように遠野物語を知りませんでした。かっぱが出るというある場所に連れていってもらって、写真を撮っていたときに、僕の後ろで運転手さんがつぶやいた言葉を僕はいまだに忘れられません。「こんなところでかっぱなんか出るわけないよな」と、彼は確かに言いました。確かにかっぱなんか出そうもないところなんです。でも僕は、遠野物語があって、その土地があって、そこに立って、かつてここに暮した人たちがそこでかっぱに出会ったのだというその幻影のような記憶を反すうしていたんですね。だから、その運転手さんが先ほどのせりふではなくて、例えば「ああ、かっぱならね、うちのばあさんの実家のそばの川でも出るらしいよ」と、こんなふうにつぶやいていたら、僕は大喜びしてその場所に連れていってもらったと思います。そして次に来たときには友人たちをその秘密のかっぱの川に連れていきます。そういうことなのだと思います。

「東北文化の日」フォーラム基調講演3

その土地に暮らす人たちこそが、その土地の歴史や文化や風土を知らなくてはいけない。知っていることによって語り部になる。豊かな語り部は、1人に語ることをきっかけに、たくさんの観光客や旅人たちをその土地の深いところにいざなってくれます。今ではそんなことは当たり前になっていて、遠野ではタクシーの運転手さんたちに遠野物語の講習会が行われていると聞きます。そして遠野では、遠野物語100周年を契機に遠野文化研究センターが立ち上げられます。これからは遠野に暮らす人々を主人公として、新たなもうひとつの遠野物語をつくる、そういう時代が始まることでしょう。旅や観光がどんな形で地域づくりにかかわることができるのか。遠野で僕がいろいろ体験してきたことは、まさにそういうことだったような気がします。

マイナスをプラスにひっくり返す

古めかしい伝統こそが新しいという、逆転の発想が必要なのかもしれません。その一例として伝統野菜の復活があります。スーパーに並んでいる野菜は日本全国規格が統一され、品種も極めて限定されたものになっている。けれども、東京で僕が行くスーパーにも京野菜のコーナーがありますが、別格なんですね。京都で伝統的につくられてきた野菜は実に美しく、それが並んでいる一角は野菜売り場の中でも輝いています。東北では山形県庄内の温海の赤カブが有名ですが、これは焼き畑という古い栽培方法によってつくられてきました。山の斜面を刈り払ってそこに火入れをして種をまくんです。そうした焼き畑という伝統的な農法の復活とともに、伝統野菜の復権ということも起こりつつある。

7、8年前、「東北学」という僕が主宰する雑誌で焼き畑の特集をやったときには、「何でそんなもう終わったテーマで雑誌の特集を組むのか」と随分聞かれました。でも、この7、8年で状況は変わり、今、至るところで焼き畑が復活しつつあります。それは、地域経済の一角を担う地域ブランドを立ち上げるといったときに、そこにしかない伝統的な農法が大きな価値を付与する手がかりになることに気付いたからだと思います。

尾瀬が自然保護の、あるいはエコロジーのある種のシンボルのようになっていますが、その尾瀬が実は明治以降に発見された自然生態系であると知ったときには、とても嬉しくなりました。というのは、尾瀬のような湿原は人間にとっては何の役にも立たないと思われていた、足を踏み入れることのない不毛の地だったんです。だから、地図には名前すら載っていなかった。植物学者がそこで氷河時代から続いている植物が見出されることを発見して、それからそこが珍しい貴重な自然環境であるという新たな物語がつくられ、流布されていき、尾瀬ケ原という名前が与えられた。このことは何か時代を考えるための鍵のような気がしてなりません。マイナスをプラスにひっくり返すという逆転の発想が求められています。

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