講演録

東北文化の日フォーラム 基調講演「知を活かし、地をつなぐ」

アートは何も求めない その無償性が力の源泉となる

今日は一つの提案をしてみたいと思います。東北文化の日ということで、東北の文化施設が連携するという試みはとてもいいことだと思いますが、もう少し先に歩を進めることはできないでしょうか。僕は芸術デザイン系の大学にいますので、芸術とかアートにとりわけ深い関心を寄せてきましたし、そうした芸術にかかわる若い力、若い作家たちを応援したいという思いもずっとありました。

越後妻有で3年ごとに「大地の芸術祭」というイベントが行われるようになり、昨年4回目が行われました。50万人ぐらいの方が十日町近辺の里山の中に点在するアートを探して歩き回ります。東京ナンバーの小さな車に4人も5人も若者たちが乗り込んで、地図を片手にアートを探す。彼らはそこで土地の人たちと出会い、里山の風景に出会う。アートとの出会いだけではなくて、いろんな体験をしています。この10年の展開の中で、越後妻有ではレストランやミュージアムなどで100人規模の雇用が生まれていると聞きました。3年ごとの芸術祭だけではなく、年間を通しての雇用を生んでいるのです。芸術祭絡みでは数百人規模の雇用が生まれています。過疎の村が経済的に自立するということはなかなか難しい。でも、そこにアートが固有の役割を持つことができるということを越後妻有は我々に教えてくれたと思います。

その越後妻有の大地の芸術祭をコーディネートしてきた北川フラムさんが、今度は瀬戸内海の直島など幾つかの島を舞台にして「瀬戸内国際芸術祭」というのを仕掛けました。そこでも50万人の人たちがその島々を訪れていると聞きました。作品鑑賞のチケットが5,000円なんですが、5,000円かける50万。幾らになるのでしょうか。普段はだれも乗らない船やフェリーが満杯で積み残しが出て、どこの旅館もいっぱいでなかなかとれない。僕はついこの間行ってきました。直島の地中美術館はとても豊かな美術館でしたが、平日だったのに整理券をもらって2、3時間後にやっと入ることができるほどの混雑ぶりでした。

そして、今、僕自身は福島県の会津で「会津・漆の芸術祭」というものを仕掛けています。これは福島県立博物館という“文化施設”が起点になり、しかも会津の伝統文化である“漆”をテーマとする。そういう意味で、何重もの意味での初めての試みだろうと我々は自負しています。会津若松と喜多方を中心として、100人規模の作家たちが漆を素材としたアートの展示を行っています。漆をいじったことのない現代アートの作家さんと、会津の漆の職人さんたちをつなぐことによって、おもしろいことが起こります。現代アートの作家たちは、こんなことをしてみたいと要求を出す。職人さんたちはそんなことはしたことがない。でも、何だかわからないけれどもおもしろそうだというので一緒になってやっているうちに、忘れられていた会津漆器の技術が復活してくるといったことが実際に起こっています。伝統と創造とが思いがけぬ出会いを果たす。そうして漆の国、会津が復権される。そんな姿が少し見えてきました。

今年は文化庁と県の助成をいただいてやっていますが、2年後には少し大がかりにして、北川フラムさんには、越後妻有とこの会津の漆の芸術祭、そして新潟市で行われている水と土の芸術祭をつながせてほしいと頼んでいます。その3つを「アート回廊」としてつなぎたいと。いずれはアート回廊として東北中のアートイベントをつなぎ、演出することができないかと考えています。何年後かの秋、東北中のミュージアムや博物館、さまざまな町のアートイベントがつながれて、北の青森から南の福島、新潟まで、つかの間そこに壮大なアートの回廊が浮かび上がる。そのとき、みちのくがアートの大地として再発見されるのかもしれない。

アートこそが地域の文化や伝統を再発見する豊かな手がかりを秘めています。よそでつくったアーティストの作品ではなくて、会津という土地で、アーティストと土地の職人さんや伝統的な文化が出会うことによって生まれたものが作品になる。土地との対話が作品を生んでいく、それが今の現代アートの最前線で起こっていることなんです。

そんな妄想のような夢のようなことを僕に教えてくれたのは、岡本太郎というアーティストでした。大阪万博の跡地には今も太陽の塔だけが建っています。太陽の塔を1970年にはだれも理解しなかった。だれも認めず、変なものだとみんなが思った。でも、今になってみると、たった一つ残って、そしてアートのすごみを伝えている。アートは何も求めない。その無償性こそがかけがえのない力の源泉となる。そんなことを太陽の塔は我々に教えてくれているのかもしれない。

今回制定された東北文化の日、そしてその動きというものが、これからどのように展開していくのか、僕はとても楽しみにしています。東北ルネサンスということをずっと語り続けてきました。それが今、もしかしたら文化というものを糧として、新しい時代の風景を切り開く手がかりになっていくのかもしれない。そんなことを考えています。

おつきあいいただきまして、どうもありがとうございました。

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